クリスチャンルブタン

2010年のブランドスタートから早7年が経ち、今やパリコレクションでも名をあげるようになったクリスチャンダダデザイナーを務めるのは森川マサノリだブランド誕生からわずか1年で、世界の歌姫レディーガガから認められ、自身のコレクション発表だけでなく、多数アーティストのステージ衣装を手掛けるなど、その活躍は幅広い

クリスチャンダダ、デザイナー森川マサノリにインタビュー - 日本から世界へ、環境とともに進化する自分|写真1

そんな彼が今思うこととは――過去を振り返るとともに、今改めて考えることをうかがったルブタン 鞄 コピー

デザイナーという職業との出会い

現在、パリコレクションをはじめファッションの世界で輝かれている森川さんその道に興味を持ったきっかけは何でしたか

祖父母が刺繍屋を営んでいて、小さいころから手伝いをしていました何かきっかけがあったというよりは、いつの間にかファッションが隣にあったという感じでしょうか服を着ることは幼稚園の頃から好きで、幼い頃から自分の着る服には強いこだわりがあったようで兄のおさがりは着ないとか、親が選んだ服は着ないとか……でも、本当にファッションを好きだと自覚しはじめたのは小学校5、6年生のころその当時、世間で流行っていたアメカジや、中学校ではDCや裏原ファッションなどをよく着ていた記憶があります

その頃から、デザイナーという仕事を意識されていたのでしょうか

全く意識していませんでしたぼんやりとファッションに携わる仕事をしたいとは思っていましたが、デザイナーというより、バイヤーやPRの仕事がしたいなとだから専門学校でも、デザイン科ではなくマーチャンダイジング科という、お店の作り方を学ぶ学科を選びました

やっとデザイナーという職業を意識し始めたのは、就職先でのことですね学校を卒業して、販売員として採用面接を受けたのですが、「販売ではなくて企画であれば」という言葉を受けて入社することになって、デザイナーという職業に出会ったんですそれがきっかけで、実際にデザイナーの世界に入り、面白い仕事だなと感じるようになっていきました

デザイナーとして羽ばたくまで

その後、会社を辞めて渡英されていますよね

入社して1年くらい経ったころ、「このまま今の会社にいていいのだろうか」という考えを持ち始めていましたなんだか見えない不安があってそんな風に迷っている時に、友達が海外に行くと話しているのを聞き、正直、「彼と一緒に住めば家賃も浮くしラッキー」というぐらいの軽い気持ちで渡英を決めました

渡英されてから、シャルルアナスタスで働こうと思ったのはなぜですか

自分でも絵を描くのですが、アートワークが好きシャルルアナスタスは、アートを使って面白い服を作っていたブランドだったので、ここで働いてみたいと思ったのです

シャルルアナスタスで働いていた時は本当にいろんなことを学びました特に、洋服作りにあたっての実務的なことを身につけたのは全てここで働いていた時ですテキスタイルデザインから縫製までコレクションに関わる仕事すべてそれから、デザイナーとほぼ一緒に住んでいたので家事やネコの世話までしていました(笑)

でも実はこの時間が大事だったように思いますデザイナーと一緒に過ごすことで、彼の技術的な面はもちろん感性まで、いろんなものを見て学ぶことができました

クリスチャンダダ初の単独ショー 2011-12年秋冬コレクションよりクリスチャンダダ初の単独ショー 2011-12年秋冬コレクションより

クリスチャンダダ誕生、そしてパリ進出

1年間のイギリスでの活動を経て、再び日本へ舞い戻ったそして、ロンドンでの生活を経て強まったデザイナーになりたいという気持ちを、行動に移したのだった

日本に戻られてからすぐ、クリスチャンダダの立ち上げに進まれたのでしょうか

いえ、日本に戻ってからは、まず友達と一緒にブランドを立ち上げましたでも、ブランド2、3年目で、彼らとはやりたいことや目指すところにすれ違いを感じるようになり、僕だけ抜ける形にそのあと自己資本で、クリスチャンダダを立ち上げました

森川さんのやりたいことは、どのようなことだったのでしょうか

日本の伝統技術を使ったデザインって、どうしてもクラフト(工芸的な)方向に寄りすぎるところがあるなと思っていてだから、今までとは違うアプローチで、そこに遊び心ある雰囲気を加えた服を作れればなあと僕自身も音楽やアートが好きなので、そういったカテゴリ―に属する現代のカルチャーやアートを、伝統技術などを使って表現したかったんです

それが今のクリスチャンダダに繋がっているのですね

そうですね“ダダ”にはダダイズムの意味があって、抵抗とか破壊といった否定的な意味があるんですよねクリスチャンルブタン 激安クリスチャンダダでは、伝統技術を使って今をどうやって否定できるかというのを表現しています2018年春夏コレクションで言えば、まるで水が滴っているようなデザインの「たれ刺繍」や手捺染のハワイアン柄みたいに、“今までにない伝統技術”の提案を意識しています

2013-14年秋冬コレクションより2013-14年秋冬コレクションより

こうした独自の表現が認められていく実感はありましたか

東京コレクションでデビューし、ありがたいことに知名度が徐々に出てきたというのは感じていましたでも、ふと思ったんです日本のファッション業界では、「クリスチャンダダ」をある程度皆さんに知ってもらうことができたけど、世界では全くの無名だなと悪く言えばこのまま日本にいるというのは自分にとって、ぬるま湯につかり続けてしまうのではないかこれで満足していいのか日本だけでなく、世界中で「クリスチャンダダ」を知ってもらいたい…とだから、一度自分をゼロにしようと決めました

自分をゼロに、ですか?

ブランドを見つめ直してみると、ブランドの知名度だけでなく、ビジネス的にも、もう一度クリエーションに向き合うべき時だと感じたのです特にビジネス的な部分世界のバイイングの時期のズレなど、数少ない売り先のパイを増やすためにどうするかを考えたとき、やはり世界中から集うパリに行くべきだと思いました

森川を変えたパリという場所

実際パリに行かれて、まず感じられたことは

ショーに関して言えば、日本だと融通が利いていたことも当たり前に融通が利かないというかパリコレクション内でのスケジュールや開催場所自体も思うように取れないし、ファッション界の中でのパワーバランスみたいなものを感じましたなにも知らずにパリへ進んだ僕には色々な壁がありましたね

メゾンブランドとスケジュールが重なれば、バイヤーやメディアの方々にショーすらも見てももらえないとことん無名な自分を実感しただから、まずはどうこのファッションシステムの中に入っていくのかというところを模索しなくてはいけなかったんです

初のパリコレクション進出、2015年春夏コレクションより初のパリコレクション進出、2015年春夏コレクションより

模索とは具体的にどういうことでしょうか

まずはチーム作りを目標にパリでの発表を始めた当初は、全くゼロからのスタートだったので、スタイリストやPR会社を自分たちで見つけるところからスタートしました何と言っても体制の確立が最優先だったのです

特に、PR会社を見つけるのはかなり苦戦しましたきっとお金をそれなりに払えば解決する部分はあったのかもしれませんが、きちんと僕たちのブランド、“クリスチャンダダと向き合って一緒に育ててくれるところ”を見つけたかったんです当初は友人周りで手伝ってもらっていただけでうまくいかずようやく2016年から、ヴェトモンなどを請け負っているPR会社と契約しましたそれが今に繋がり、海外での露出も増えてきたように感じます

模索をしていく中で気づいたことはありますか

何事も、パリに行った当初はがむしゃらにやってみましたそうやって最初は自分というものを繕ってパリに挑戦したつもりでしたけど、今はパリという場所が僕を育て、変えてくれている気がしますファッションの第一線というものを知ることができたことで、ブランドも自分のクリエーションもいちから見直すことができたんじゃないかな

2016年に移転オープンした南青山店2016年に移転オープンした南青山店

改めて考える、デザイナーとしての自分

目指していることはありますか

ブランドとして、クリスチャンダダをどう広めていくかというのは常に意識しています少しづつでも自分たちのペースでおそらくこれは、チームのみんなの共通認識なんじゃないかなあとは、今まで活躍されている他ブランドの形態をなぞらないことですね「右に習え」はしたくないなと

今の段階ではできてきていますか

まだまだこれからという感じではありますが、国内では衣装の提供など含めて多ジャンルに渡る活動、アジアではシンガポールの親会社を母体として、台北のマンダリンオリエンタルホテルへの旗艦店出店など、多角的に展開することを考えています欧米に関してもパリの発表の甲斐もあって、需要も多くなってきたので更に販路を増やしていきたいですね

ブランドがだんだん大きくなっていく上で、森川さんご自身の立ち回りも変わってきているのではないですか

そうですね昔は会社自体が小さかったのでデザインからPR、販売までのすべてに関わっていましたが、今は取扱店舗数も増えたことや衣装提供の依頼も多くなってきたこともあって僕自身が、全ての分野に深く関わることは難しくはなってきていますね

でもデザインに関していえば、今は一番集中して出来る環境ができているので、支えてくれているチームのみんなに感謝しています